2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧
見て聞いて思いを馳せていくことが、 見ずとも聞かずとも想いを馳せる訓練。
祈って待つしかできなくても、 祈って待つことはできるから。
天空に輝く月の欠けたるも満ちて光りし満月の様に
繋がることができるのは別々に存在しているから。
見えないことは自分の中で無いことにもできるけれど、そこに思いを馳せるかどうかも自分次第。
できることをやるしかないが、できることに自分で制限を設けない。
量と質だけではカバーできないこともある。
肌でも便りでも感じる季節の巡り。 ちゃんと時間は過ぎていくんだね。
みんなで成し遂げる事の難しさを知るからこそ、目のあたりにするとうるっとするよ。
触れ合いて夢に微睡み浮かんでは 深く沈みてまた浮かびゆく
詳し過ぎるモノへの依存は退化も進化も生み出す。
在ることとその質はそれぞれに評価されるべきものだけれど、無ければ質は評価しようがない。
吐き出す言葉が見当たらないのは、吸い込んでいる時だからかな。
飽きるくらい好きなモノって飽きることはないのね。
再生と復元が違うように、元通りと元の鞘に収まるのも違う。 同じ姿に戻ったように見えても、すべては変わり続けた結果。
隔てても、ただそれだけの。 何度でも、ただそれだけで。
知りたいことを知っている人と知り合う機会と知識の提供を受けることができて初めて知識は自分のところまでやってくる。 でも本当に知ることができるかどうかはまた別の問題。
なんでもなく過ぎてゆく一日の中の特別な出来事は偶然という名の必然。
アタマの中にあるモノをカタチに変えてゆくのは吐き出していくチカラ。
プラスアルファを当たり前にするためには、マイナスの中でも証明していかなくてはならない。
思うままに使えるようで使えない自分自身を、思ったように使いたいともがくのが生きるということ。
故人を偲んで集まれば、ほんの少し生と死を意識する機会になるのかも知れない。
悪しきモノを無きモノとすると、無い振りをせざるを得ない。 悪しきモノも良きモノも在ることを前提に物事を考えるべき。
未来を想像するより確かにその日はやってきて時の流れを実感させる。 人はあらゆるその日を生きていく。
手をのべて、目をかけて、それでも力が及ばぬこともあるけれど、チカラを信じてまた今日も。
年齢を重ねることと老いることは違う。
続けて使いたい時ほど時間をかけたメンテナンスが必要、という矛盾は生身にも器械にも当てはまる。
時間は行動の仕方通りに過ぎる。
ちっぽけな世界で関わる人々のなんと多いことよ。
身体の中で心臓が脈打っていることを改めて思い出すまでもないように、自分の一部のように意識するまでもなく存在する人がいる。