2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧
境目はいつもグラデーション。 ボーダーラインは自分の心が決めるもの。
多くの人が集まるからこそ色んな人がいるのだと感じられる祭りだから、少しチカラをもらったり少し人混みに疲れたりして、ココロに刺激を受けてくる。
あなたの中にいる私の記憶が、ときに私を支えるモノになる。
どんなモノでも表裏一体で成り立っていることに気付かないなら、ただ見ようとしていないだけ。
自分の意力では抗いようのない、あなたの存在の威力にはかなわない。 私を思わず笑顔にする、あなたの偉力を今も感じている。
命以外のモノも引き継ぎ引き渡して繋げていく、生きるということ。
すぐそばにはいられなくても、あなたがそう望むなら、私はあなたの縁の下の力持ちになろう。 私が揺らがずにいる事があなたの支えとなるのなら、食いしばってでも踏ん張るよ。
どんな一日も、自分にとって必要な一日。
100の結果を出すために、100の力だけ注ごうとする効率主義なら要らない。 ヒトがする事なら尚更の事。 遊びや余白や糊代はどんなモノにも必要。
雲が掴めそうなほどに積み重ねても、空はまた高くなる。また少しずつ積み重ねて、どこまでも追いかけよう。
自分の身体と存在を使ってできる事、いっぱいしたいだけ。
ひとつの結果は、そこから派生する次の結果を求め続けるもの。
風はいつも追い風とは限らなくても、少しずつ進んでゆくことはできるから。
物事はいつでも最善最良を選べるわけではないが、自分の大なり小なりの決断に従って進んでゆく。選んだ結果はいつでも、その時の最善最良の道のはずだと信じて進むだけ。
言葉は様々に意味を持つ故に、正解はないが解答はある。
悪い状態の時に本性が現れるというけれど、それだけがその性でもない。
選んだ未来のカケラは、私の隣でどんな夢を見ているのかな。
ふとした瞬間に繋がりを自覚するから離れられなくなる。離れる意思がないからこそでもあるけれど。
思わずチカラが入ってしまう人に、チカラを抜いて、なんてアドバイスほど役に立たないものはない。 ぼんやり遠くを見て、そっと溜息をついてみて。
憂いはそれとして抱えつつ、それでも心洗われたり、霧が晴れる様な想いをする事はできる。日常のふとした一瞬にたくさん閉じ込められた楽しみを見つけよう。
伝えたいことと知りたいことのズレを感じることもあるけれど、そのズレは新しい出会いとして受け止められるならいいんだよね。
まずは知ること。その先は広がることも広げることもできるから。ただ知るキッカケを作るだけだよ。
絡み合う糸が機能するネットワーク。 縺れ合う糸で身動きのとれない関係。 どちらも意図して選べるはずなのに。
今の姿は、刺激と反応の成れの果て。 その変わり様や変わらなさへの好奇心が原動力。
天に光る星よりも、もっと力強く支えてくれる足元のこの地球に祈ろう。
自分の中にある答えを解き明かすために知るべき事や得られるものを、追い求めたり受け入れたりするプロセスそのものが答えなのかも知れない。
好機を生かすことは、自分自身を活かすこと。
ふっ、とチカラを抜いてもたれ掛かりたいなと思うより速く、脚にふっ、とチカラを入れて踏ん張るような毎日を、ふっ、とチカラを込めて吹き飛ばしてみよう。
完成度の高さは融通のきかなさでもある。 伸び代は不完全さの中にあり、成長はまだ見えぬ未来の先にある。
新しいものに触れその良さを感じると、旧いものの良さもまた感じる。欠点も然り。それもまた愛おし。