2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日と今日の境目を軽やかに飛び越そう。
浮かんでは闇に消えゆくフレーズも 胸に溜まりてまた浮かびゆく
長き夜 ゆるり過ごせばより満ちて
みているときは、そのものに心を移し映している。 例えば色鮮やかな空とかアナタとか。
憂いは余裕の無さにつけこんでくるから備えておくんでしょう?
心が離れている事は、 自分の心で感じてる。 客観的に見る事ができる時点で、 渦の中にいない自分に気付いた。
どうしてあれもこれもやらなくちゃいけないの?と、強制されているように感じるならやらない方がいい。 自発的にやるほどの意義を見出せないなら、結局成し遂げられないから。
誰かだけを責めるのではなく、 皆の責任を問う事が最善の道。
骨まで軋むほどの疲れも丸ごと癒してまた使う。
突き刺さるほどの雨粒は天と地を繋ぐ命綱
言葉には文字が伝える以上の情報がある
今はただ、涼しい風に乗る蛙の鳴き声が響くだけ。
あなたがいなくてはできない事であっても、あなた以外の誰かがいてこそ成立するという大前提に気付かないあなたではないでしょう?
何かをできると楽しさや愉しさを感じるという単純明快な感覚は、ちょっとハードルが高めの事柄で感じやすい。
自分の属する環境以外を知ろうとすることも見ることもなければ、全く違うやり方がある事にすら気付けない。
否定的に捉えて不満ばかり口にしていたら人生勿体無いよ。
自分の価値に気付けば他者の価値にも敏感になれる。 自らを取り巻くモノに気付かなければ自分自身にも鈍感にしかなれない。
自分にできることは何なのかを考えて実行すれば、誰かが自分勝手にやっている事だなんて思わなくなるさ。
自分というフィルターを通した時に、事実は多少なりとも歪むもの。
その時の素材のいいところを引き出し合うような関係が相性の良さ。
自己満足で、本当に自分は満足しているの?
誰かと同じ事ができるというのは、誰かと交代可能であるということ。 自分にしかできないことを発揮できる場所があるのは幸せなこと。
自分の意外性を自分で見つけるのは案外難しい。
可能性の裏に隠れている現実を見て見ぬ振りでいいの?
ボーダーライン上に在ることの曖昧さ故に自由。
当たり前のことや、当たり前だと思われていることを成し遂げるための頑張りは、結果的にプラスなんだよ。
枠とか限界とか範囲とか合理性とかって、その大部分は感情論。 超えるのも、篭るのも。
目先のものもちゃんと見つめれば本質の一部だとわかる。
他人を変える事は難しいから自分を変えなくてはならないと言うけれど、自分を変えるのも案外難しい事でそれができれば他人も変わるのかも知れない、という回り道な他力本願。
広げた世界から得られたことを、自分の周りにどれだけ還元できるかという結果無しに、広がりを誇っても意味がない。